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Text Interviews » Yuki Kajiura interview on natalie.mu about FictionJuction’s Parade album

This is purely for Archiving purposes, original source is the natalie.mu website


劇伴作家としても広く知られる梶浦由記が、自身のソロプロジェクトFictionJunctionのニューアルバム「PARADE」をリリースした。

オリコンアルバムランキング週間チャート7位にランクインし、CDの品切れ店が続出するなど大きな盛り上がりを見せている今作。FictionJunctionとしては実に9年ぶりのアルバムとなるこのアルバムには、FictionJunction feat. LiSA名義による「from the edge」や、藍井エイル、ASCA、ReoNaがボーカルで参加した新曲「蒼穹のファンファーレ」、Aimerをボーカリストとしてフィーチャーした「櫂」など、梶浦節を感じさせる濃密な12曲が収録されている。

See-Sawとしてメジャーデビューしてから30年。これまでさまざまなボーカリストやクリエイターたちと、多種多様な作品を作り上げてきた梶浦に、30周年を迎える心境や「PARADE」の制作にまつわるエピソード、年長者としての現在地を聞いた。「まだまだパレードは続きます」。そう軽やかな笑みを浮かべながら語ってくれた梶浦の思いとは──。

取材・文 / 須藤輝

「やりたいことを全部やっちゃおう!」と続けていたら30年
──梶浦さんは今年の7月に音楽活動30周年を迎えます。具体的にはご自身が在籍したバンド、See-Sawが1993年にメジャーデビューしてから30年が経つわけですが、キャリアを振り返ってターニングポイントになった出来事を挙げるとすれば?

一番のターニングポイントは、映画「東京兄妹」(1995年公開)の劇伴を手がけたことですね。もともと私は映画はほとんど観ていなくて、最初に「映画の音楽を作りませんか?」と打診されたとき、「そういえば、映画には音楽が流れていたかもしれない」と思ったぐらいで。だから劇伴の仕事は自分で選んだものではなくて……See-Sawというバンドでデビューしたもののさっぱり売れず、その後、当時の所属レーベルでインストゥルメンタルの曲を集めたコンピレーションアルバムを出す企画があって、そこで私は初めてインスト曲を3曲レコーディングしたんです。そのうち1曲はコンピレーションに収録されて、残った2曲を、事務所のスタッフが「よい曲だから」と市川準監督に聴いていただいたんですよ。

──へええ。

ちょうどそのとき市川監督は新作映画、つまり「東京兄妹」の中で、恋人たちが街をさまよう3分ぐらいのシーンでかける曲を探していたらしくて。そこで「梶浦さんの曲を使いたい」「どうせならサントラ全部やらないか?」という話になり、私自身はポカーンとしているうちに映画の音楽を作ることになったんです。そしたら、映画を観てくださった方から「アニメの音楽をやりませんか?」というお話をいただきまして。でも、私はアニメも、幼稚園のときに「ムーミン」にハマって以来そんなに縁はなかったので「アニメというものも、この世にありましたね」ぐらいのところからスタートしているんです。そういう意味では、出会った方々に引っ張られてこの世界に来たようなもので。

──梶浦さんの経歴を拝見するに、「狙ってそうはならないですよね?」と思っていましたが……。

本当に巡り合わせていただいて。私が若い頃は、アニメーションの音楽は作曲家にとってまだプライオリティが低い時代だった印象があるんです。だから、私みたいな劇伴の経験がほとんどない人間にも、声をかけてくださる方がいらした。初めてのテレビアニメの仕事は真下耕一監督の「EAT-MAN」(1997年放送)という作品だったんですが、当時の私はアニメの「ア」の文字も知らないし、背景音楽とはどういうものかもわかっていなかったので、バッチンバッチンに音が詰まった曲も書いていて。それを真下監督に面白がっていただきつつ、逆に「そうじゃない音楽も必要だよ」ということも教えていただいて。今はもうそんなのは無理というか、アニメの音楽は人気がありますから、経験も技術もない人にいきなり話がくることは難しいと思います。だから、すごくツイていたんですよ。

──ツイていたとして、そこで結果を残せないと次につながりませんよね。

なんだかんだでアニメの劇伴は自分に合っていたと思うんです。もともと私は、子供の頃からオペラとか大袈裟な音楽が好きで。クラシック音楽が大好きな家庭で育っていて、特に父は自分でも歌うので、小学校の低学年からピアノで歌曲の伴奏をさせられたり、毎月オペラの公演にも連れていってもらったり、すごくありがたい音楽教育を受けていたんですね。でも、私がSee-Sawでデビューした90年代前半はいわゆるガールポップがブームで。それこそオペラだったり、あるいは当時好きで聴いていたニューエイジやワールドミュージックの要素は、バンドのメインにはしていなかったし、デビューする際に削られた部分も大きかったです。

──ありましたね、ガールポップブーム。

ところがアニメの仕事をやってみたら、自分が好きだった音楽がぴったり合うんですよ。アニメの世界では人がバタバタ死ぬし、悪役が高笑いする。たぶん、悪役が高笑いするのはオペラとハリウッド映画とアニメぐらいで、そういうシーンでかける大袈裟な音楽が求められて「あ、ここではやりたかったことができる」と。ただ、私は音大を出ているわけでもないので、当時は「今は面白がってもらえてるけど、あと何本できるかわからない」と考えていて。「アニメの仕事をもらえてる間に、やりたいことを全部やっちゃおう!」と必死になっているうちに30年経ってしまったというか。偶然、連れてきてもらった場所がとても居心地よくて、「この場にい続けられるものならい続けたい」と思っていたら「いいよ」と言われたような感覚ですね。

「あ、売れなきゃ好きなことなんてできないんだ」
──先ほどオペラやニューエイジの話が出ましたが、梶浦さんの音楽的なバックグラウンドって、どうなっているんですか?

私の世代って、自然といろんな音楽が耳に入ってきたと思うんですよ。もちろん最初にクラシックに触れたという点で両親の影響はものすごく大きいんですけど、私は小学3年生から中学2年生まで、年代でいうと1970年代後半はドイツにいたんですね。だから環境的にオペラも身近だったし、クラシック以外では兄の影響でまずThe BeatlesとWingsを聴いていたんです。あと、ドイツのヒットチャートはほぼUKチャートだったんですよ。当時はAbbaが絶頂期を迎える頃で、さらにQueenやThe Policeといった魅力的なバンドが山ほど出てきていて。

──うらやましい環境ですね。

それから高校に入学した80年代初頭に、今度は第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンが始まるんですよ。要は、シンセサイザーのピコピコした音がどんな曲にも入ってくる。そのあとはワールドミュージックやアンビエント、ニューエイジが流行って、それらが普通にチャートインする時代だったんですよね。だから、いろんなものをごちゃ混ぜにすることに抵抗がないんじゃないかな。例えばループにワールドミュージックが乗っかっていて、そこにクラシックが被さっていることを不自然に思わないみたいな。私も何か策略があったわけじゃなくて、あまり考えずに曲を作っていたらこうなった感じはあります。

──See-Sawは1995年に一旦活動を休止しますが、2001年に活動を再開させて以降、ニューエイジやワールドミュージックの色が濃くなっていると思います。

See-Sawは、実はアマチュア時代はわりとマニアックなことをやっていたんです。でも、メジャーデビューするにあたって「そういうのは日本では受けないから」と、プロのアレンジャーさんに全部ポップな感じに直されまして。内心「うわ……」と思いつつ「なるほど、プロになるってこういうことなんだな」と、今思うと間違った認識なんですけど、納得はしていたんです。で、活動休止中に劇伴をやり始めたら、今度はアニメの制作側から「歌モノもやってみない?」と言ってもらえたんですよ。しかも特に規制もなく、「女の子のバンドはこうあるべき」みたいな決め付けもなかったので、アマチュアの頃に戻ったような気分でした。

──それが、「EAT-MAN」の真下監督が手がけたアニメ「ノワール」(2001年放送)の挿入歌「indio」ですか?

はい。今「アマチュアの頃に戻った」と言いましたけど、デビュー当時の私に「indio」のようなアレンジができたかというと、できなかったと思うんですよ。技術も知識も足りていなかったので。だから、あのときいろんな方にSee-Sawの曲をアレンジしていただいたことは決してマイナスではなく、むしろいい経験になっていて。それを経ていろんな劇伴のお仕事をいただいて、自分なりに勉強したことでやっと「こうすれば、自分が目指していたサウンドに近付けるんだな」とわかったんです。そういう意味ではタイミング的にもよかったし、環境的にも自分の好きなことをやっても誰も怒る人がいなかったので、すごく伸び伸びとできた感じはありましたね。

──伸び伸びとやった結果、「機動戦士ガンダムSEED」(2002年~2003年放送)のエンディングテーマ「あんなに一緒だったのに」が大ヒットした……という言い方は品がないかもしれませんが。

いやいや、大事なことです。デビューが決まったミュージシャンは、たぶん10人いたら9人は「売れなくてもいいから、好きなことやろう」と考えるものだと思うんですよ。もちろん私たちもそうだったんですけど、だいたいデビューした直後に「あ、売れなきゃ好きなことなんてできないんだ」と気付くんです。結局、仕事で音楽を作るということは、誰かにお金を出してもらうということだから、好き勝手やるには好き勝手やるだけの力がないと、お金を出している人たちに「うん」と言わせられない。私はたまたま劇伴のほうである程度認知されていたので、「歌も好きにやっていいよ」とお許しが出ただけなんです。しかも「ガンダム」というビッグタイトルに関われたことで、See-Sawという、どちらかというと聴く人を選ぶような音楽をやっていたバンドにとってちょっとあり得ないぐらいのヒットが生まれ、今度は「梶浦って、歌も作るんだ?」と認識してもらえた。なので、本当にありがたかったですね。

FictionJunctionは何かのはずみでやるしかない
──See-Sawは2006年に再び活動を休止しますが、他方で2004年にソロプロジェクトのFictionJunction(当初は南里侑香をボーカルに迎えたFictionJunction YUUKA名義)を始動させ、2008年からはKalafinaのプロデュースをなさっていますね。

Kalafinaは、もともと「空の境界」(2007年より全7部作が公開)という劇場アニメのBGMのお話をいただいたときに「BGMと主題歌を同じ世界観にしたいので、歌も作ってください」と言ってもらえたのがきっかけで生まれたんです。だから、FictionJunctionもそうなんですけど、BGMの流れで歌モノの依頼をいただくことが増えたんですよ。あるいは、私のマネジメントをしてくださっている森康哲さんが「BGMのついでに、歌モノも書かせてみません?」みたいな策略を巡らせてくださるんです。おかげで、インスト曲を書きすぎてそろそろ人の声が恋しくなってきた頃に歌モノが書けるし、ありがたいことに歌モノで多少実績を積めたことで、歌だけのお話もいただけるようになって。ただ、Kalafinaをやっていたときは、Kalafinaだけで精一杯でしたね。

──でしょうね。

劇伴の仕事をしながらKalafinaのシングルとアルバムを作るという鬼のようなスケジュールで、自分でもよくあんなに曲を書いたなと思います。もちろん、すごく楽しかったんですけどね。そのKalafinaは諸事情で今はもう活動していないのですが、結果的に、これまでお付き合いのなかった歌い手さんともご一緒できる機会が増えて、それはそれで今すごく楽しいです。だからやっぱり、巡り合わせなんですよね。

──9年前の音楽ナタリーのインタビューで梶浦さんは「Kalafinaは計画的にやっているけれど、FictionJunctionは“はずみ”でやっている」と……(参照:梶浦由記インタビュー)。

はずみでやっているから、アルバムを出す間隔が9年も空いちゃうんです(笑)。KalafinaとFictionJunctionの違いは何かというと、私が中にいるかいないかなんですよ。つまり、Kalafinaの中に私はいないし、ライブでも私は演奏しないので、私が不在でも稼働できる。だからきちんとした音楽活動ができたんです。一方、FictionJunctionは私が中にいるので、私が忙しいときは何もできないんです。だから、何かのはずみでやるしかない。

──はずみでできたニューアルバム「PARADE」ですが、去年のツアーのタイトルが「Yuki Kajiura LIVE vol.#17 ~PARADE~」なんですよね。ツアーの時点でアルバムの構想はあったんですか?

(小声で)もうちょっと早く出るはずだった……。

──あ……。

なにぶん、はずみでやっているもので(笑)。去年「PARADE」というアルバムを引っさげてツアーをやる予定だったんです。だから収録曲にしても、「Beginning」とか「もう君のことを見たくない feat. rito」とか「八月のオルガン feat. LINO LEIA」とか、去年や一昨年のツアーで披露している曲も多いんですよ。そういう事情もあって、今年の夏のツアーのタイトルを「The PARADE goes on」にしました。

違和感こそが面白い
──本作には今おっしゃった「Beginning」に加え「それは小さな光のような feat. KEIKO」「moonlight melody」「世界の果て feat. 結城アイラ」と計4曲のセルフカバーが収録されていますが、選曲の基準はあるんですか?

「Beginning」は、一昨年のツアー(「Yuki Kajiura LIVE vol.#16 ~Sing a Song Tour~」)を始めるときに、策略家の森さんが「これ、ライブの始まりの曲にいいんじゃない?」と提案してくださって。もともと声優の千葉紗子ちゃんの1stアルバム(2003年発売の「melody」)の1曲目に入れるために書いた曲で、自分のライブでやったこともないし、正直自分でも「そういえば、書いたわね」ぐらいの感覚だったんです。でも改めて聴いてみたら、この曲は、今のFictionJunctionで「レギュラー」と呼んでいる4人の歌姫さん(KAORI、KEIKO、YURIKO KAIDA、Joelle)が順番にステージに出てきてミュージカルみたいに歌ったら面白いんじゃないかと思って。それまでのライブでは歌姫さん1人ひとりに光を当てるようなことはあまりしていなかったんですけど、いざやってみたらすごく気に入ってしまい、アルバムにも収録したという流れですね。

──KEIKOさんの独唱から始まり、Joelleさん、KAORIさんへとつなぎ、YURIKO KAIDAさんの「ラララ」で完成する流れは、とても美しいです。

ありがとうございます。ライブと同じアレンジのままレコーディングしたので、どこかしらライブ感があるんですよね。森さんの思いつきからライブでやることによって生まれ変わった曲であり、私もこの曲を書いた20年前のことを思い出したりして、すごく楽しいセルフカバーでしたね。

──「それは小さな光のような」は、さユりさんに提供した楽曲ですね。

この曲はアニメ「僕だけがいない街」(2016年放送)のエンディングテーマとして書いた曲なんですけど、前々からKEIKOちゃんに合うだろうなと思っていて。しかも原曲は江口亮さんがアレンジしてくださって、それがめちゃめちゃカッコいいんですよ。私には真似できないアレンジというか、あまりにも私と違うから、ここまで違うならセルフカバーをする意味があるなと。それからさユりさんの声って、すごく力強いんだけど、どこか幼さを感じるところもあって、そこもKEIKOちゃんと全然違うんです。だからまったく別の曲になると思ってやってみたら、やっぱり面白かったという。

──さユりさんのヒリヒリしたボーカルも素晴らしかったのですが、KEIKOさんのボーカルはゆったりしていて、重厚というか。

どっしりした響きになりますよね。さユりさんの歌には、千切れてどこかに飛んでいっちゃいそうな、すごく儚い愛らしさがあるんですけど、KEIKOちゃんの歌はどこにも飛んでいってくれなさそう(笑)。ライブで聴いていてもズシッとくるものがありますね。

──「moonlight melody」はアニメ「プリンセス・プリンシパル」(2017年放送)の挿入歌で、原曲はドロシー(CV:大地葉)とベアトリス(CV:影山灯)が歌う、いわゆるキャラクターソングですね。

「moonlight melody」は、完全に作品のおかげで生まれた曲で。「作品の世界では誰もが知っている名曲を書いてください」という発注のままに、「そんな高いハードルってある?」と思いながら書いたんですが、仮に「なんでもいいからアルバム用の曲を書いて」と言われたら、こういう曲を書こうとは思わなかったでしょうね。そういう意味ではちょっとした違和感があるけれども、その違和感こそが面白いのかなと。あと、この曲もライブで、うちの4人の歌姫さんが歌ってくれると聴き惚れてしまうぐらい楽しいんですよ。その楽しさを音源でも残したかったし、先ほどの「Beginning」と同じく4人いるからできるセルフカバーと言えますね。

──そして「世界の果て」は、「Beginning」と同じアルバムに収録された千葉紗子さんの曲です。

「世界の果て」は、結城アイラさんのピュアで明るい声が合う気がしていて。実はライブで歌っていただける機会を伺っていたんですけど、それが叶わなかったので「じゃあ、アルバムで歌っていただきましょうか」と。この曲は「moonlight melody」とは正反対というか、完全にソロで歌ってもらうことを想定していました。

──原曲はどこか冷たい雰囲気がありましたが、結城さんバージョンはより軽やかで温もりを感じます。アレンジはほぼ原曲通りなのに、面白いなと思いました。

たぶん、年の功みたいなものがアイラさんにも私にもあって。「世界の果て」は歌詞の1行目から「校庭」という言葉が出てくるように高校生ぐらいの子の歌で、この曲をレコーディングした当時、千葉ちゃんはまだ青春の渦中にいたんです。つまり、自分が当事者だったから青春というものをクールに捉えていたんじゃないか。でも、私よりずっとお若いアイラさんを巻き込むのも申し訳ないんですけど、私たちが今この曲をレコーディングすると、もう「懐かしい!」という感情に支配されてしまうんですよ。だから青春って、遠ざかって振り返ったとき初めて温かいものになるというか、青春を温かく語るには歳を取らなきゃいけないんだと思いました。

梶浦流のボーカリスト基準
──去年のライブで披露した曲のうち、「もう君のことを見たくない」と「八月のオルガン」ではritoさんとLINO LEIAさんという新しいボーカリストをそれぞれフィーチャーしています。お二人ともオーディションで選ばれたんですよね?

そうです。お二人ともほかにはない、とてもいい声をお持ちだったので、ほとんど迷わなかったですね。今回のアルバムにはたくさんの歌姫さんが参加してくださっているので、それぞれ1曲ずつしか歌っていただいていないんですが、今後もいろんな音楽を一緒に作っていきたいです。

──梶浦さんはプロデュースや楽曲提供、FictionJunctionでのフィーチャリングでさまざまなボーカリストとご一緒されていますが、ボーカリストを選ぶ基準などはあるんですか?

どうでしょう? 基本的に、タイアップがあるものは歌姫さんありきでお話をいただくことが多いので、普段は私が選ぶことはあまりないんですよ。でも、このオーディションのようにタイアップなどもない場合、私の中に基準らしきものがあるとしたら、どこかしら声に明るさがあることですかね。何かキラキラしたものを感じる、沈んでしまわない声というのは大事かなって。あと、オーディションの最終審査でレコーディングまでやらせてもらったんですが、現場での音楽的な理解の早さも重要で。

──理解の早さですか。

例えば私が「こういうふうに歌ってみたらどうでしょう?」と言ったときに、理解の早い方はその意図をすぐに汲んでくださるし、3テイク録ったら3テイク分伸びるんです。もちろん、スタイルが完成されていて「そのままでいい」という方もいるんですが、私としては「もっと伸びてほしい」とか「このまま伸びてくれるなら、次はこんな曲を書きたい」とか、伸び代を考えながら一緒にお仕事をしたくて。そういった伸び代がどれだけあるかは、一緒にレコーディングすれば10分ぐらいでわかるんですよ。「この人にはまだ伸び足りない部分がいくつかあるけれど、これだけ伸びるスピードが速ければ、たぶんこの曲を録り終わる頃にはいい感じに仕上がってるだろうな」みたいな感じで。だから持って生まれた声と、音楽に向き合う態度、そして伸び代の総合評価なのかな。なんて、偉そうに言っていますけど、だいたいスタッフさんたちと「この方がいいよね」という意見は一致するんです。

FictionJunctionのど真ん中を撃ち抜く「ことのほかやわらかい」
──新曲についても伺いますが、1曲目の「Prologue」はアルバムの導入としても、2曲目「ことのほかやわらかい」の前奏曲としてもめちゃくちゃ効いていますね。いきなり「ことのほかやわらかい」で始まるのではなく、「Prologue」で焦らされることで音楽的な快感が増すといいますか。

それはよかった。「Prologue」と「ことのほかやわらかい」は、流れを考えながらセットで作っていたので、そう言っていただけてすごくうれしいです。実はこの曲は最後に作った曲なんですけど、アルバムの全体像が見えてきたときに「バラードが多いな」みたいな、思ったより落ち着いたアルバムに感じたんですね。だから始まりはもう少しリズミックにしたくなったというか、アルバムをアルバムたらしめるために、仕上げに頭をちょっと飾りたくなったんですよ。

──梶浦さんの曲は、ほんのりエスニックでビートが強く、浮遊感があるのに独特の重みと粘りを感じるのが特徴的というか、僕はそこが好きなのですが、「ことのほかやわらかい」にはそれがよく表れていると思いました。

自分としてもすごく好きなサウンド感ではあるんですけど、案外、今回のアルバムではこういうタイプの曲をやっていなかったことに気付いて。ほかの曲を見渡したときに、FictionJunctionがやってきたことのど真ん中じゃないところを掘っているような感覚があったんです。だから頭を飾るとともに、ど真ん中を撃ち抜いてやろうという気持ちもありました。

──歌詞に関して、「光る」と「ひかる」で、漢字とひらがなで表記を分けているのは何か意味があるんですか? 野暮な質問かもしれませんが、ライターをやっていると表記揺れが気になってしまって。

深い意味があるかというと、ないです。感覚的に、なんとなく……逆に表記統一しちゃうと面白みがなくなってしまうというか。私は歌われているときの歌詞と、文字で書かれた歌詞は違うものだと思っていて、前者はメロディの一部として聴いてほしいんです。一方、後者は言葉として読んでほしいんですけど、その言葉を並べたときの絵面みたいなものがすごく気になるんですよ。そういうときに、ちょっと色を変えてみるようなイメージで……。

──例えばインタビューなどで一人称を文字にする際、人によっては漢字の「私」よりもひらがなの「わたし」のほうがしっくりくると感じることがたまにあるのですが……。

そうそう、それに近い感覚だと思います。漢字の「光る」とひらがなの「ひかる」に意味的な違いがあるわけじゃなくて、あくまで装飾のようなものとして、文字にして並べたときにしっくりくるか、きれいに見えるかを大事にしている感じですね。

歌い手が気持ちよく歌ってくれたら100%成功
──同じく新曲の「夜光塗料 feat. ASCA」と「櫂 feat. Aimer」では、いずれも梶浦さんと縁のあるボーカリストをフィーチャーしています。僕はたまたま、ASCAさんとAimerさんがそれぞれ梶浦さんの曲を歌われたときにインタビューしているのですが、お二人とも梶浦さんとのやりとりをものすごく楽しそうに話してくださいました。

お二人とも楽しんでくれていたのだとしたら、とてもうれしいです。結局、「楽曲提供は何をもって成功と言えるのか?」と聞かれたら、私は「歌い手さんが気持ちよく歌ってくれたら100%成功です」と答えるので。まあ、本当に満足していただけたのかどうかはご本人にしかわからないんですけど、それでも気持ちよさそうに歌っていらっしゃるのを見ると「いい仕事、できたな」と感じるんです。

──これまで梶浦さんがお二人に提供してきた楽曲は、基本的にはなんらかの作品の主題歌でしたが……。

今回はなんのオーダーも規制もなく、自分の好きにしていい。まずASCAさんに関していうと、彼女の声はバンドサウンドに合うとずっと思っていて。ASCAさんがボーカルの、大人かわいい女子オルタナバンド的なことをやってみたくて「夜光塗料」を作りました。だからいろいろユルいというか、歌詞もちょっとルーズだし、いつものASCAさんよりもふわっと明るく歌っていただきました。

──ASCAさんは、普段のボーカルと、梶浦さんの曲を歌ったときのボーカルの変化がわかりやすいというか。梶浦さんがASCAさんを自分のフィールドに引っ張り込んでいる感じがします。

引っ張り込んでいますね(笑)。ASCAさんの歌い方はロック的で、ときに怖いくらい鋭かったりするんですよ。もちろんそれはASCAさんの大きな魅力の1つなんですけど、私は彼女の声のキラキラした成分が好きなので、それを増幅するために、どちらかというとポップス寄りのアプローチに誘導している自覚はあって。ASCAさんもどちらの歌い方もできるので、私のディレクションに対して「じゃあ、こっちですね」と、すぐに切り替えてくださるんです。だから「変化がわかりやすい」というのはその通りだと思いますね。

──一方の「櫂」はほぼピアノの伴奏のみで、「Aimerさんの声を聴いてください」みたいな。

実は、「櫂」は30年前の曲……いや、もっとさかのぼるか。アマチュアの頃にライブハウスでやっていた記憶があるので、たぶん私が20歳ぐらいのときに書いた曲なんです。しかも、歌詞もメロディも何も変えていなくて。

──ええー、そうなんですか。

そうなんです。この曲はシンプルすぎて、歌い手さんを選ぶんですよ。どんなに技術が高くても、声に時系列的な変化がない人が歌うと、ものすごく単調に聞こえてしまう。あまりにも難しい曲なので、今までずっと底に沈めていたけれど、「これをAimerさんが歌ってくださったら、すごくいいんじゃないか」と思ったんです。だから、こういう言い方は大袈裟かもしれませんが、「櫂」はAimerさんと出会うのを待っていたんじゃないかなって。この曲は音数も少なくて、オケにあとから歌を合わせられないのでピアノと同録だったんですけど、言うことがなさすぎて「Aimerさん、いいです」と4回ぐらい言っただけでレコーディングが終わっちゃいました。

──「櫂」におけるAimerさんの歌は「いい」としか言いようがないです。

ですよね。Aimerさんは独特の世界観をお持ちで、ただただ素晴らしかったし、30年を経てレコーディングができて本当にうれしかったです。

──「櫂」は30年以上前に書かれた曲だとおっしゃいましたが、例えば「終わらないもの二人で探していたい」といった歌詞は、現在に至る梶浦さんのメインテーマと重っているようで。

私って、まったく成長していないんだなと(笑)。ただ、今はそこまでシンプルに言い切れないというか、少しひねってしまうと思うんです。その点では若さを感じるんですけど、当時はいろんな意味でシンプルでしたね。曲の展開にしても今だったらもうちょっと盛り上げただろうし、実際、後半の「Sail on」というコーラスみたいなパートはもともとなくて、そこだけ新たに付け加えたんです。ともあれ、今回のアルバムは一番古い「櫂」と一番新しい「ことのほかやわらかい」の間に35年ほどの開きがあるんですけど、並べてみると根本的には変わっていないですね。

終わる気なんてさらさらないし、これからも楽しい予感がいっぱい
──もう1つの新曲が、アルバム最後の曲「Parade」です。この曲の歌詞には梶浦さんの音楽観、より大袈裟にいうなら人生観が表れているように思いました。

実は「PARADE」というアルバムタイトルを先に付けちゃったので、「タイトルトラックがあったほうがいいよね?」ぐらいの軽い気持ちで書いた曲なんですが、そうなってしまいましたね。私は2008年から「Yuki Kajiura LIVE」をほぼ同じバンドメンバーと一緒にずっと続けているんですけど、このバンドって、いわゆるバックバンドでは決してないんです。だからいつも「フロントバンドメンバーズ」と呼んだりしていたところ、あるときベースの高橋“Jr.”知治さんが「俺たち、楽団っぽいよね」と言い出して、私も「なるほど、梶浦楽団だ!」と。普段はバラバラだけど、ライブやレコーディングのときだけ集まって、一緒に音楽を作る。そこでは一応、私が指揮して、みんなでパレードしているような感覚が確かにあると気付いたんです。

──いいですね。

だから「PARADE」というアルバムタイトルはすごく気に入っていたんですけど、いざ「Parade」という曲を作るとなると、結局、自分は今どこでどんなパレードをしているのか、みたいな歌詞になってきちゃうんですよね。特にここ数年はコロナ禍もあり、「朗らかに音楽をやりたい」という気持ちがすごく強くなっていて。私もバンドのみんなもけっこういい年だけど、若い人たちに教えてあげられることもそんなにない。じゃあ、とりあえず朗らかにやっていれば、みんな「音楽って楽しいんだな」と感じてくれるんじゃないかと。逆に若い頃って、別に朗らかじゃなくていいと思うんですよ。苦しいときは苦しい顔をしていい。だけど、そろそろ私たちは朗らかでありたい。無理してはしゃいだり明るく振る舞ったりする必要はなくて、ただ朗らかに。

──楽曲自体も、どんちゃん騒ぎでもないし、かといってそこまで厳かでもない。いい温度感ですね。

正直に言って、20代の頃のような激しい熱意を持ち続けるのは難しいんです。とはいえ熱意がないわけじゃないし、むしろ「歩き続けていこう」という気持ちは、もしかしたら20代の頃より強いのかもしれない。あるいは20代の頃に持っていた熱意って、激しさとともに、捨てようと思えばすぐ捨てられちゃう危うさもはらんでいたと思うんです。でも30年も続けていると、もう捨てたくないんですよ。だから温度こそ下がってはいるけれど、より持続性のある熱になっているのかな。

──「Parade」はアルバムのクロージングトラックなのに、終わった感じが全然しないですね。むしろ始まった感すらあります。

終わる気なんてさらさらないし、これからも楽しい予感がいっぱいあるので、まだまだパレードは続きます。

「PARADE」特設サイトにて梶浦由記セルフライナーノーツ+豪華ボーカリスト陣のコメントを掲載中

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