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Text Interviews » Oricon Careers Interview


Interview originally from Oricon career. Translation here.


北野武監督最新作『アキレスと亀』の音楽を手がけた梶浦由記さん。これに限らず、映画・アニメ・ゲーム・舞台・TVなど幅広い音楽プロデュースを手が け、昨年までに手掛けたCDの総売り上げは300万枚を超える。最近は、ソロアーティストとしてライブ活動を本格化させており、独自の世界観で音楽との絆 を深めながら、成長し続けている。Photo:昭樹

梶浦さんの人生グラフ

30才を過ぎてから上昇する人生っていいですね

 芸術にとりつかれた男とその妻の姿を描いた北野武監督最新作『アキレスと亀』。この映画の音楽(サウンドトラック)を手がけたのが梶浦由記さんだ。感覚的に画面とぴったり合致した音楽には、音楽家としての梶浦さんの力量が生きている。

「北野作品だからというプレッシャーは全くなかったのですが、自分の殻を破って新しい経験ができました。すごくいい刺激をいただいた作品でした」

 これまでにも数多くの映画やアニメーション、ゲームなどに楽曲を提供してきた梶浦さんの「殻を破る」とはどういうことなのか?

「映像作品に付ける音楽というのは、感情に付けることが多いんです。悲しいシーン、さみしい気持ちになるシーンに音楽をつけるとわかりやすいし、作曲家 も作りやすい。それが、今回の映画は感情に音楽をつけようとしたら、できなかったんですよ。笑うところ泣くところが、人によって全然違う映画だ!と思っ て。悲しいシーンの中にも、シニカルな笑いが含まれていたりするので、そこに叙情的な音楽をベタに付ければ、北野監督の色彩を薄らげてしまう。それは避け なければならなかった。

そこで、気づいたのは、北野監督の映画には、独特なテンポというか、面白いリズム感があるということ。それは日本のほかの監督にはない、いや世界にもな い、類いまれなものでしょうね。ものすごく簡単に言うと、「いきなり」なんです。過去の北野作品もそうですが、例えば、人が亡くなるのも「いきなり」です よね。たいていは、短いシーンの中にも前触れがあって、徐々にクライマックスを迎える。音楽もその感情に合わせて盛り上げていく王道のパターンがあるので すが、それがまったく通用しない(笑)。

そういう今までのやり方をポンと捨てて、感情ではなく画面に音楽をつけようと頭を切り替えたら、すんなりいったんです。どういう感情かわからないけれど、画面の背景で鳴っているという感じ。印象に残る画面と音楽が絡んでくれればうまくいくような気がしました」

 きっかけをつかむまで苦労した甲斐あって、『アキレスと亀』は作品も音楽も評判は上々。北野監督の独特の感覚にも、観客の感情にも寄り添う、融通性のあ るサウンドの数々に梶浦さんの才能が光る。そんな充実した仕事ぶりが伺える梶浦さんの「人生グラフ」は30代に入ってからが上り調子だ。

「30代から上がっていくっていいですよね。音楽を仕事にしようと思ったのが20代後半になってからだったので、出だしが遅いのですが(笑)。私は、自 分で運を引き寄せているというより、周りに運のいい人たちがいて、その恩恵に預かってきた人生だと思っています。まず、両親。すごくいい家庭に生まれたと 感謝していますし、デビューした後も、人づてでお仕事いただいて今日までやってこられた。北野監督と初めて仕事ができたのも、運をもらっているな~って」

「すごくいい家庭に生まれた」という梶浦さん。音楽家としての原点も、<家庭>にあったようだ。

オペラを歌うのが好きな父の影響を受けて

梶浦さんの音楽との最初の出会いを聞いたら、「父が歌う、オペラですね」という予想外の答えが返ってきた。

「父は、商社に務める普通のサラリーマンで、オペラが大好きな人でした。それも鑑賞するだけじゃなくて、自ら朗々と歌うのが趣味という、同居するには とっても迷惑な人で(笑)。そんな父がドイツ支社に転勤になって、私は物心つかないころから、父とオペラハウスに行き、家では父のオペラを聴いていまし た。

幼稚園に通いだした頃からピアノを習い始めて、小学校に上がる頃には父の歌の伴奏をしていました。伴奏といっても、和音をとっていただけなんですけど。 それが日常でしたから、私も歌とピアノとオペラが好きになっていましたね。そういう家庭環境から、私の音楽のすべてが始まっています」

 子供の頃の夢は「オペラ歌手になりたい」。小学校から高校まで合唱部に入っていたというのだから、一本気な性格が伺える。

「誰に聴かせるわけでもなく、家のピアノで伴奏をつけながら歌ったりしていましたね。小学生の頃はドイツに住んでいたこともあって、オペラや歌曲ばかり でしたが、中学生になってからは洋楽のロックやポップスも聴くようになって。その中でもビートルズにハマって、なぜか全曲暗記しようと思ったんですよね。 200曲くらいあるんですけど、自分で歌詞カードを作って覚えました。つまり、凝り性なんですよ(笑)」

 結果として、オペラ歌手にはならなかった。振り返れば、ターニングポイントは高校卒業の前後にあった。

OLからサウンドプロデューサーへ華麗なる転身

 梶浦さんの「人生グラフ」は高校を卒業するころから大学時代にかけて少し落ち込んでいるが・・・。

「高校の合唱部で、オリジナルの合唱曲を作っていたのですが、最終的には合唱してもらわなければならないわけで、それも30人くらい人を集めなければならなくて。それが大変だったんですよ。友達に“アイスおごるから”といって協力してもらったりして。それにいい加減うんざりしていた時に、バンドに誘われたんです。キーボードやらないかって。当時、女子バンブームだったんですよね。バンドなら5人いればできる、アイス5本で済むぞ!みたいな気軽さで、あっさり方向転換しました。それと・・・、大学に入学する少し前に父が亡くなったというのも大きい。経済的にも余裕がなくなって、大学時代はバイトの鬼でしたね」

 アルバイトで学費を稼ぎながら、バンド活動。そして、就職。状況は変わっても、音楽を離れることはなかった。

「途中、人数が減ったりメンバー変わったりもしましたが、大学4年間、就職してからも3年、バンドを続けていました。みんな白い衣装を着て、鈴をシャーンと鳴らしながらステージに出てきてアカペラで一曲歌ってから、ドーンと演奏するとか、ヴィジュアル系に近い感じで、なかなか面白いバンドでした。でも、正直、プロになるつもりはなかったですね」

 趣味で音楽を――父のように――続けていこうと思った梶浦さん。しかし、音楽の神様は彼女の才能を見逃さなかった。

「仕事と音楽を両立するには物理的に時間が足りないと思うくらい、音楽が面白くなってきて、音楽をもっとやりたいと思い始めたタイミングで、“デビューしないか?”と、声をかけていただいたんです。もう、20代も後半になっていましたが、なんという巡り合わせなんだろうと思って。母や会社の上司からは“正気か?”と猛反対されましたが、押し切って、会社を辞めました」

1993年、3人組のユニット「See-Saw」として「Swimmer」でデビュー。1995年頃からソロ活動を本格化させ、アニメ―ション、映画、CM、舞台、ゲームなどの音楽を手がけるようになる。2002年には、「See-Saw」でリリースしたアニメ『機動戦士ガンダムSEED』のエンディングテーマ曲「あんなに一緒だったのに」がオリコンウィークリーランキングで初登場5位の大ヒット。OLからサウンドプロデューサーへ。梶浦さんは、華麗なる転身を遂げたのだった。

音楽が出てくる本と出てこない本がある

 2008年は、梶浦さんにとってビックプロジェクトが目白押し。『アキレスと亀』のサウンドトラックのほか、2006年から続く映画版『真救世主伝説 北斗の拳』第5部が10月11日より公開される。また、劇場版アニメ『空の境界』全7作の音楽を担当しつ、その主題歌プロジェクト「Kalafina」がスタート。また、Sound HorizonのRevo氏とのコラボレーションライブや梶浦由記として、初ライブにも挑戦した。

 さまざまなメディアから発信される梶浦さんの音楽を創造するパワーの源はどこにあるのだろうか?

「インスピレーションを受け取るのは、絵か本か。音楽や映画、テレビなど音のあるものはダメなんです。音が聴こえてしまうので、曲づくりには適さないんですよ。これから曲を作るぞ~っていう時には、部屋でろうそくを灯して、画集や好きな作家の本を読みながら、自分をその気にさせるんです。本を読んでいると、音楽が出て来る本があるんですよ。文章にもリズムがありますからね。それと、不可解なのに現実的な、ちょっと不思議なお話からも音楽が浮かんできやすい。例えば・・・、エイミー・ベンダーの短篇小説集『燃えるスカートの少女』とか、チリの女性作家・イザベラ・アジェンデとか。音楽が出てこない本は眠る時に読みます。音楽が出てきちゃうと眠れなくなってしまうから(笑)」

 音楽が出てこない愛読書の一つが、フィンランドの作家、トーベ・ヤンソンのムーミン・シリーズ。

「アニメもいいですが、小説もすごく面白いですよ。短編なので読みやすいし、けっこう残酷なんですよね。実は、昔からいいなぁって思ったバンドの6割は北欧か東欧出身で、相性がいいみたいです。ニューエイジとかエレクトリカとか、北欧は面白いことをやっているんですよね。自分の音楽も、どこか北欧のアーティストの影響を受けていると思います。でも、北欧を旅行したことは一度もないんですよ(笑)。行ってみたいかというと、そうでもない。一番好きな場所には行かないほうがいい(笑)。想像しているほうが楽しいというか、自分の中の北欧を守りたいというか。本当の北欧ではない、私にとっての理想郷のような場所ですね」

 音楽が仕事となった今、梶浦さんのオフの趣味は?

「オフは、音楽を聴いているか、本を読んでいるか、寝ているか(笑)。友達と飲むのも好きですね。あと、果実酒をつくることかな。梅、杏、さくらんぼ、常時10種類は漬かっている。友達が家に遊びに来た時に、振る舞うんです」

続けて行く秘けつは、自分から辞めないこと

 若くして才能を開花させる人もいれば、梶浦さんのようにOL経験を経て、デビューのチャンスをつかむ人もいる。梶浦さんは自身を「遅咲き」と言ったが、その遅かったデビューから早15年のキャリアを積んできた。

「続けて行くひけつは辞めないこと。年々、自分の中のモチベーションを維持するのが難しくなっていることに気づきました。それさえできれば、何をやっても続けて行ける。そのために、いい音楽を聴いて“負けないぞ”って思ったりして、刺激を受け続けて行くしかないと思っているんです。

辞めるのは簡単で、いつでも辞められる。才能があっても自分から辞めてしまう人をたくさん見てきました。でも、一度辞めるたら、二度目のチャンスはなかなかこない、ほぼない。だから、私は、今取りかかっているこの一曲を途中で辞めない、あきらめない。つまりは、手を抜かないってことなんですけど、心がけているのはそれだけですね。自分と音楽に対して、誠意を尽くす」

 最後に、今後について聞いた。

「ここ数年は、仕事場で曲を作って、スタジオでレコーディングの繰り返しだったんですけど、今年、久しぶりにライブ活動を再開したたら、ハマってしまって、楽しくてしかたないんです。自分ひとりで曲を作っている時と、お客様の前で音楽を聴かせる時と、全然違う楽しみがあることに気がついた。ミュージシャンにとっても、音楽の楽しみ方はいろいろある。その発見がうれしい。アマチュア時代はバンドでライブ中心でしたし、もともと歌うのが大好きでしたから。来年は作曲の仕事を自粛して、ライブ活動に精を出したいと考えています。

そして、私からの言葉は、“自分を動かす”。自分が感動できないことで、人を感動させようなんて、おこがましい。でも、自分の心に響いた曲なら、誰か共感してくれるかもしれないし、誰かの心にも響くかもしれない。他人を動かそうとする前に、自分を動かす。自分が感動できる曲を作ろう、届けようという気持ちを忘れないでやっていきたいです」


Profile

作詞・作曲・編曲を手がけるマルチ音楽コンポーザー。2002年、ヴォーカル石川智晶とのユニット「See-Saw」としてリリースしたアニメ『機動戦士 ガンダムSEED』のエンディングテーマ「あんなに一緒だったのに」がオリコンウィークリーランキング5位を記録し、一躍その名を馳せることになった。サ ウンドトラックを手がける時は「梶浦由記」名義で。アーティスト活動は主に「FictionJunction」名義で、様々なヴォーカリストをフィー チャーした形で行っている。劇場アニメーション『空の境界』全7作の音楽を担当し、2007年12月に主題歌プロジェクト「Kalafina」が始動。 2008年4月には「梶浦由記」として初のソロライブを実現した。

公式HP:http://www.fictionjunction.com/

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